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山車と人形

山車について
旭組の祭の歴史は、小型の底抜け屋台と呼ばれる車で、芸者さんが、四、五人乗り、三味線などを弾き、はなやかでたいへんにぎやかだったそうです。 
 旭組には、明治四十二年より書き継がれている祭典買物帳が現在まで使用されています。この祭典買物帳によると旭組では、山車のことを芸者さんが乗っていることから花車と書いてあります。 大正十五年の祭典は、たるみこしを三台造り例年にない盛大な祭になったそうですが、このころは若連と年寄りの意見がしばしば対立したそうです。 この時の花車は、梶が付いていないため五、六人の若連が棒で、前輪を動かして梶を取っていたため時間も夜半までかかり、花車もいたんだそうです。
 現在の旭組の花車は、昭和八年十月一日より毎日一銭ずつ町内全戸で、一年間貯金を始め花車製作の費用を集め、旭町在住の大工武藤弥作氏へ製作を依頼、神戸米吉氏や数人の大工、彫師のかたがたによって製作され、昭和十年八月末日に完成しました。
費用は、(当時の金額で)花車代 七百五十円、西陣織幕 五十二円五十八銭、彫刻 百円、塗り 百十六円、総額千四百九十三円八銭  塗りは、総うるし塗りでたいへん美しかったそうです。(今でも!)

人形について
旭組の山車の人形《静の舞》は、鎌倉時代の源義経夫人、静御前が舞を舞う姿が形どられています。
下仁田町の人形の中では、旭組の《静の舞》だけが女性の人形です。・
制作は昭和30年3月、埼玉県本庄の人形師《米福》によるものです。
人形制作と同時に《静の舞》にちなんで前橋よりお囃子のお師匠を招き、バチを回しながら太鼓を打つ独特な静で優雅なお囃子を習い、今日にいたっております。
一説には、戦前の祭において余りにも旭組の若連が元気がよく、暴れたり物を壊すので何とか静に祭ができるようにとの願いあったといわれたり、その昔旭町は花町として栄えた時代もあり、その名残で女性の静御前になったともいわれております。


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静御前のお色直し完了

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